愛媛慈恵会について
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沿革

明治34年7月26日
松山市鉄砲町39番地に事務所を設け孤貧児の教養に着手
明治37年11月22日
財団法人認可
明治39年8月1日
東北地方の大飢饉によって父母、親せきを失った岩手県の子ども25名を受け入れ。詳しく見る
昭和20年3月
戦災者受け入れ
昭和20年7月26日
住宅倉庫養老部収容室計53坪焼失
昭和23年5月1日
児童福祉法による養護施設認可
昭和26年9月15日
創立50周年記念式典挙行
昭和27年5月17日
財団法人愛媛慈恵会から社会福祉法人愛媛慈恵会への改組認可
昭和28年10月22日
天皇皇后両陛下行幸啓
昭和31年1月11日
松山市立御幸中学校分教室として特殊教室設置
昭和31年11月7日
年賀はがきお年玉寄付金と協力会の寄付金をもって栄松寮の寮舎1棟(91坪)を建築
昭和40年10月4日
移転改築事業を完了。松山市旭町より事務所を現在地に移転。
昭和53年4月8日
御幸中学校慈恵教室廃止、児童は拓南中学校に転校。
昭和56年10月25日
創立80周年記念式典挙行
昭和59年11月30日
車両競技記念財団による助成事業完了。(東寮舎補修工事)
昭和62年12月29日
車両競技記念財団による助成事業完了。(汚水合併処理槽新設工事)
平成3年2月27日
日本自転車振興会による助成事業完了。(地域交流ホームの建築及び整備工事)
平成3年11月19日
創立90周年記念式典挙行。
平成7年2月27日
日本自転車振興会による助成事業完了。(西寮舎改築工事)
平成13年12月4日
創立満100周年記念式典挙行。
平成19年2月26日
日本自転車振興会による助成事業完了。(小規模グループケア施設新築工事)
平成22年4月12日
第19回石井十次賞受賞
平成23年3月31日
国・県による耐震化整備補助事業完了。(東寮舎及び事務所棟改築工事)
平成24年11月1日
創立満111周年記念式典挙行
平成30年12月19日
新小規模グループケア施設新築工事竣工
平成31年3月14日
西寮舎改修工事完成
令和3年7月25日
創立120周年記念式典挙行

明治39年(1906年) 東北の大飢饉による児童の受入

明治39年(1906年) 東北の大飢饉による児童の受入 明治39年に東北3県(岩手、宮城、福島)は未曽有の冷害、凶作に見舞われ、明治38年末から39年頭の極寒期に、食料はなく、豪雪のため交通は途絶し、日露戦争(明治37年~38年)によって孤児となった子ども達は飢えと寒さで生存さえ危ぶまれていました。この窮状に対し全国10施設が救済のための児童の受入れを申し出ました。愛媛慈恵会は、その中の一施設でありました。
 
当会は明治39年5月上旬から愛媛県庁を通して東北三県に働きかけました。愛媛県が岩手県宛に送った文書(明治39年6月12日付)には「愛媛慈恵会は基本金2,000円を有し、又地方慈善家により1カ月60円乃至100円位迄の寄付金があり、此度評議員の決議により、貴県及び福島、宮城の三県に各々20名ずつの孤児収容を照会したものである(後略)」と記されています。
 
同年8月1日に4歳から12歳までの25名の児童を迎えました。学齢児童は松山市立第二尋常小学校(現味酒小学校)で学び、学校から帰ったら経木真田を編んで若干の収入を得るように図り、貯金をさせました。岩手県からの児童の受入によりこれまでの施設では狭くなったため、同年11月に鉄砲町から府中町(現 木屋町)安楽寺に移転しました。
 
明治41年以降、児童は父母親戚の家計が回復するに従って帰郷しました。60余年後、当時の児童の一人から「親身なお世話を受けたことは童心に刻まれている。ひとこと感謝の気持ちを伝えたい」との礼状が届いたというエピソードもあります。

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